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ミッドウェー海戦の敗因は南雲中将にあるのか! [ミッドウェー海戦]

ミッドウェー海戦の敗因は南雲中将にあるのか!


巷では良くそういわれています。

本当でしょうか?


nagumo02.png






今から、72年前の1942年6月5日に日本はアメリカの

ミッドウェーを取るべく機動部隊(空母を中心とした

部隊)を送った。




日本は機動部隊の航空母艦4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)

とその艦載機(ゼロ戦等)を一挙に失い、ミッドウェー島の

攻略は失敗した。それまでは、日本が優勢に戦争を遂行して

いたのだが、これによって、戦況が逆転していくきっかけというか

これを、機に日本は戦いに勝てなくなり、敗戦への悪夢の道へと

突き進んでいくことになる。



大戦の分岐点になった戦いだと通常いわれていて、この敗戦

に責任を負った者のそれは、とても重いと言わざるをえないでしょう




赤城は機動部隊の旗艦(司令官が乗って指令・命令を発する艦)

であり、この艦に搭乗していたのが、前線における司令官だった

南雲だった。この編成部隊が赤城以下南雲機動部隊だ。


300px-AkagiDeckApril42.jpg
赤城  wikipediaより

良く伝えられている話ではミッドウェー海戦とは、南雲が爆弾から魚雷

への兵装転換を命じ、正に、攻撃機が魚雷を積んで飛び立とうという

時に、敵空母部隊から急降下爆撃を受け、航空母艦4隻を失う


ことになったという話であり『運命の5分間』

という衝撃的な言葉もある。後述。

『飛龍』の司令官山口多聞少将からの攻撃の進言にも関わらず、攻撃

をしなかった南雲中将の責任が問題とされるている。

200px-TamonYamaguchi.jpg
山口多聞  wikipediaより

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6月5日に日本は同島への空爆を開始したが、重巡洋艦利根から発進

することになっていた偵察機の発艦が予定より30分遅れたため、


反撃に出たアメリカ機動部隊の発見が遅れ、攻撃部隊発進準備中に

アメリカ急降下爆撃機の攻撃を受け、瞬時に赤城、加賀、蒼龍の

飛行甲板が破壊され、まもなく沈没した。




残る飛龍は、第二航空戦隊を率いていた山口多聞少将の指令により、

度重なる攻撃を行うが、ヨークタウンを航行不能にさせるにとどまり、

飛龍もアメリカの攻撃をうけ沈没した。



これを受け、連合艦隊司令長官・山本五十六はこれ以上の作戦続行は

不可能と判断し、撤退した。



この海戦で日本海軍は主力である空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」

の4隻と重巡1隻、航空機300機と多数のエースパイロットを失ったのに対し、

米軍の損害は空母「ヨークタウン」1隻と駆逐艦1隻、航空機150機喪失にとどまった。



日本海軍は機動部隊の航空母艦4隻とその艦載機を多数一挙に

喪失する損害を被り、ミッドウェー島の攻略は失敗し、

この戦争における主導権を失った。






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時系列で追ってみる。



6月5日

7時15分 旗艦『赤城』に友永大尉からの無電が届く。

南雲機動部隊に対し『カワ・カワ・カワ(第二次攻撃の要あり)』と

打電して第一次攻撃隊のミッドウェー島への攻撃は不十分である

ことを伝えた。



南雲司令官はミッドウェー島基地への再空襲を決定する。

(近藤信竹中将の率いるミッドウェー攻略部隊

(第二艦隊)が6月7日に上陸を開始する前に、米軍基地航空戦力を

 壊滅させる必要に迫られたからである)



南雲長官は源田実航空参謀との打ち合わせの上、

魚雷から対地爆弾への兵装転換を命じた。


ちなみに、魚雷から爆弾への転換には1時間半から2時間かかる。

ということは、魚雷から爆弾への転換は敵の空母等の艦隊を撃つ

のでなく、攻撃をミッドウェー島自体に切り替えることを意味する。




7時28分 遅れて偵察を開始した重巡洋艦利根の利根4号機より発進した偵察機が

『敵らしきもの10隻見ゆ、ミッドウェーより方位10度、240浬 (南雲機動部隊から200浬)』

と発信した。(だがこれは間違いで敵空母は北140海里(約260キロ)にいた)


           (新規に搭載した機体であったため、コンパスの自差修正
           
            ができず、コンパスに10度のずれがあった為とされる。)



7時45分 受信した南雲部隊は、魚雷から陸用爆弾への兵装転換を一時中断した。

            
8時00分から8時30分にかけて、ミッドウェー基地を攻撃した日本軍攻撃隊(友永隊)が 南雲部隊上空に戻ってきた。


ちょうどその時、米軍ミッドウェー基地航空隊が南雲機動部隊を攻撃している最中であり、

日本軍攻撃隊は母艦上空での待機を余儀なくされていた。

これ以前に米軍から南雲機動部隊に対し、数度の小さな攻撃が続いていた。

300px-Japanese_Navy_Aircraft_Carrier_Kaga.jpg
加賀  wikipediaより



    この前の4時30分

      南雲機動部隊はミッドウェー島を襲うため空襲隊

      (友永丈市大尉指揮:零式艦上戦闘機36機、九九式艦上

       爆撃機36機、九七式艦上攻撃機36機、

       合計108機)を発進させていた。


       約15分の空中戦が繰り広げられ戦いは日本側の勝利に

       終わっていた。


       日本軍攻撃隊はその後、ミッドウェー島に空襲を実施した。

       その後の小競り合いでアメリカに強い打撃を与えられなかっ

       ため、攻撃の成果が不十分と判断した友永大尉は

       上述の無電を送った。

この段階までに南雲司令部は、米軍空母が存在するという確証を持っていなかった。



8時30分

しかし、『敵はその後方に空母らしきもの一隻を伴う。

ミッドウェー島より方位8度、250浬』 との打電が入った。

この空母は「ホーネット」である。

草鹿龍之介参謀長は「予想していなかったわけではないが、さすがに愕然とした」と述べている。



『飛龍』の司令官山口多聞少将はあらゆることを放棄して、

すなわち護衛戦闘機もつけられるだけ、爆弾も陸用爆弾で、かつ一切の人情を放棄して
                                 
『直ちに攻撃隊発進の要ありと認む』と進言した。 (赤城に発光信号を送る)




この進言時点で第二次攻撃隊は出撃の準備態勢に入っており、進言の通り攻撃隊の発進が可能だったという証言があり、

空母「赤城」と「加賀」の甲板に九七式艦上攻撃機、空母「飛龍」と「蒼龍」の甲板に九九式艦上爆撃機が並んでいたという証言もある。




しかし、米側の調査によれば、この直前のB-17の空襲で撮影された

「蒼龍」と「飛龍」の上空写真には飛行甲板に航空機は並んでおらず、

直ちに攻撃隊を飛び立たせるのは不可能だったという事がわかっている。

Hiryu_f075712.jpg
飛龍  ミッドウェー海戦で、敵機の爆撃を回避する飛龍。飛行甲板後部に”ヒ”の字が確認出来る。wikipediaより


この時点では飛行甲板に攻撃隊の準備はされていなかったため山口の具申は不可能であったのだ。

そのため南雲は帰還部隊の収容を優先させた。

吉岡忠一航空参謀によればこの判断は司令部で何の問題もなく決まったという。



この時、偵察機の報告によれば米軍機動部隊までの距離はまだ遠い。(と思っていた)

(実際の米軍機動部隊はもっと近くにいた)







『赤城』の南雲司令部は幾つかの条件を検討することになる。     



1、「(偵察機の報告から)敵はまだ遠くにいる」


2、九七艦攻への陸用爆弾から魚雷への転換は、もともと陸用爆弾に兵装転換した機が少なく、短時間で終わる。

(兵装転換は、7時15分の魚雷から爆弾への転換開始から7時45分の転換一時中止まで30分しかたっておらず、 殆どしていなかった。)

3、陸用爆弾では、敵空母に致命傷を与えることは困難である。

4、上空待機中の日本軍ミッドウェー基地空襲隊(約100機)の燃料が尽き掛けており、これ以上待たせる事は出来ない。
              

5、直掩(敵艦隊攻撃隊を護衛する零戦)を上げているので攻撃隊に付ける機体が無い。
                                
  そして、弾薬と燃料を使い果たした零戦隊を護衛につけても意味がない。 


6、戦闘機の護衛のない攻撃隊は、敵艦隊護衛戦闘機の餌食になる。大損害を受けることがわかっていながら「はだか」の航空隊を出すことは出来ない。


南雲司令部は、戦闘機の護衛をつけずに攻撃隊を出す危険性や第一次攻撃隊を見捨てることへの懸念から、 帰還した第一次攻撃隊の収容を優先すべきと考えた。南雲は山口の進言を却下。



南雲は米機動部隊艦隊から攻撃を受ける前に魚雷への兵装転換を行い、日本軍攻撃隊はその後、攻撃のため発進可能と判断した。


要は帰還した第一次攻撃隊の収容を優先させつつ、陸用爆弾から魚雷への転換をし、その後、攻撃!と考えたのだ。


300px-B5N_Type_97_Carrier_Attack_Bomber_Kate_B5N-25s.jpg
九七艦攻  wikipedisより


8時37分 各空母は日本軍ミッドウェー基地攻撃隊の収容を開始する。

8時55分「(第一次攻撃隊)収容終らば一旦北に向ひ敵機動部隊を捕捉撃滅せんとす」と命じた。



8時55分 利根4号機はに「敵攻撃機10機貴方に向かう」との通報を発した。




               後方の戦艦「大和」南雲機動部隊からの電

               報を受信していた。


               山本五十六以下連合艦隊司令部は?


               山本五十六が黒島亀人先任参謀に「米艦隊への攻撃

               命令を出すか否か」を尋ねると、

               黒島は「南雲は兵力の半数を米空母機動部隊に対し

               て準備しているから必要なし」と答え、

               連合艦隊司令部は何も発信しなかった。特に焦るこ

               ともなかった。

180px-Yamamoto-Isoroku.jpg
山本五十六  wikipediaより


9時17分  第一次攻撃隊を収容し南雲機動部隊は東へ退避。断続的な空襲の為兵装転換はなかなか進まず。

9時30分 までに第一次攻撃隊の収容は完了したとされるが、「蒼龍」では9時50分頃までかかっている。


南雲は連合艦隊(山本五十六長官)に米軍空母発見を知らせると、直ちに米空母攻撃へ向け準備を開始する。



その後、南雲機動部隊はミッドウェー島基地航空隊の空襲を撃退し、米軍機動部隊から発進したTBD デバステーター雷撃機の攻撃も連続で全て撃退した。

南雲は鈍重な旗艦「赤城」の操艦を青木泰二郎艦長に代わって自ら行い、魚雷6本を回避してみせた。

直接の操艦は艦長の職掌であり職掌の分担を犯すものではあるが、その腕には源田実航空参謀も舌を巻いたという。



その頃、エンタープライズから発進したドーントレスは日本の機動部隊を見つけられず、燃料消耗のために飛行範囲限界を迎えつつ、予想海域の周辺を捜索していた。

エンタープライズドーントレスは日本軍機動部隊が北方に退避すると推測し、変針しつつ捜索を続行する。
                            
ドーントレスは眼下の日本軍駆逐艦は空母部隊へ向かっているものと判断して
    
10時24分頃、北東進路上を索敵した結果、南雲機動部隊を発見した。


Douglas_SBD_5_tricolor_with_bomb.jpg
ドーントレス  wikipediaより


10時23分 ヨークタウンから発進した隊も戦場に到着する。

こうして南雲機動部隊への空襲は、エンタープライズ隊とヨークタウン隊

の同時攻撃となった。




日本側は先ほどのヨークタウン隊に対応して直掩零戦のほとんどが低空に降りており、

さらに見張り員も雷撃機の動向や発艦寸前の直掩機に気をとられていたため発見が遅れ、

「敵、急降下!」と「加賀」見張り員が叫んだときにはすでに手遅れだった。




「被弾した時、各空母甲板上には発進準備を終えた戦闘機隊、雷撃機が整列しており、米軍の攻撃があと5分遅ければ全機発進できた」と草鹿龍之介や淵田美津雄は主張している。



これにより、いわゆる『運命の5分間』説が巷間に広まっているが、これは誤りである。


日米生存者の証言や戦闘詳報の調査によりこの時点で各空母は直掩機の発着艦を行っており、攻撃隊は飛行甲板に並んですらいなかった。




10時22分 にはようやく兵装転換終了、上空直掩の増援のため零戦が発艦を始めた との言説もあるが、 これも『運命の5分間』説に基づくものと言えよう。



ただ、「収容終らば一旦北に向ひ敵機動部隊を捕捉撃滅せんとす」としており、

攻撃部隊準備中の出来事で日本人として残念な事であったとは思う。




10時24分 『エンタープライズ』より発艦したドーントレスの急降下爆撃により

『赤城』・『加賀』・『蒼龍』が被弾。飛行甲板が破壊され、まもなく沈没することになる。
                    。




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10時46分 南雲長官が旗艦を『赤城』から『長良』に移す。

10時58分 『飛龍』より第一次攻撃隊発艦。

12時08分  『飛龍』の攻撃隊による爆撃で『ヨークタウン』に250キロ爆弾三発命中。『ヨークタウン』中破。

13時30分  『飛龍』より第二次攻撃隊発艦。

13時38分 『飛龍』に第一次攻撃隊が帰還する。

14時40分  『飛龍』の第二次攻撃隊が『ヨークタウン』に魚雷二本命中。『ヨークタウン』大破。
(後に『ヨークタウン』は日本軍の『イ168』潜水艦の魚雷で轟沈する)

15時45分  『飛龍』に第二次攻撃隊が帰還する。

17時03分  唯一残った空母飛龍が爆撃を受ける。

19時15分  『蒼龍』沈没。

Japanese_aircraft_carrier_Soryu_02_cropped.jpg
蒼龍  wikipediaより


19時26分  『加賀』沈没。

19時50分 戦艦『大和』の山本長官がミッドウェー作戦中止を決定する。




6月6日

2時  自沈させる為『嵐』、『萩風』、『野分』、『舞風』より放たれた魚雷により『赤城』沈没。

9時  自沈させるため駆逐艦『巻雲』より放たれた魚雷により『飛龍』が沈没。


空母全滅!

           参考サイト  http://ja.wikipedia.org/wiki/ミッドウェー海戦
                    http://ja.wikipedia.org/wiki/南雲忠一
         http://dic.pixiv.net/a/ミッドウェー海戦 他


巷で言われているように、ミッドーウェー海戦での責任の所在を判断す

るのは難しいことなのではないか?それ程強く南雲中将の責任を

問責するのは難解なことかもしれない!
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